2014/4/18
「弘法は筆を選ばず」という言葉の意味について考えている。
ことわざとして素直にとると「すぐれた能力を持った人は道具がなんであれすぐれた結果を出す」って感じかな。で、能力を磨く前に道具のせいにしてガタガタ言うな、みたいなニュアンスで使われる。
しかしこれを、「人間の能力と道具の関係性」についての命題に置き換えると、実に示唆にとんだフレーズだと思うのだ。
たしかに、どんな筆でも立派な字が書ける弘法様はすごい。しかし、弘法様の本当のすごさはそこだけじゃない。思うに、弘法様や、それぞれの分野(絵でも音楽でもスポーツでもなんでも)で弘法様クラスにまで行く人というのは、「目の前にいい筆がなくても書き続けてきた人たち」なんじゃないだろうか。それどころか、たまに「筆の存在すら知らないのに書いてた」みたいな人もいたりして。
かといって道具がどうでもいいかっていうとそうでもなくて、目指す表現に近づくためにはそれも必要で。弘法様だって選べるもんなら筆は選ぶと思うのだ。どこまで本当かはわからないけど、書体によって筆を使い分けたりするこだわりも相当あったというし。
だから道具にこだわることが必要だってのも、必要じゃないってのも、どっちも真実だと思うんだよね。
人にとって「道具」とは一体なんなのか。つくづく考えはつきないぜ。