2014/4/12

というわけで、また季節がめぐりひとつ年をとってしまった。

誕生日というのは個人的な正月みたいなもんで、去年はどうだったかな、そんで今年はどうしていこうかな、なんてことをいろいろと考えてしまう。ほとんどの人には興味のない話だと思うから読み飛ばしてもらって構わないけど、これも節目だからちょっと自分語りする。

最近よく思っているのは、私は「いっぽんのやじるし」でありたいということ。どこまでもまっすぐに、正直に、自分の心で感じるものに従って生きていきたい。なんていうとカッコよさげだけど、実際には毎日うねうねウジウジしていて、まあ、だからこそっていうかね。

まっすぐでいたいと思っていても、現実に目の前にあらわれてくる状況が自分の思い通りであることはまずない。だから、状況に自分をあわせるほうが楽なようにみえるし、20代まではわりとそうしなきゃって思ってた。

しかしだね、世の中にはそれが苦もなくできる水のようにやわらかい心を持った人がいることもたしかだが、私には無理だった。それを最大限やっていた数年前の私は、電車にのると動悸がして何回も途中下車するわ、ものを食べようとしても気持ちわるくて食べられないわという体たらくで、行き場を失ったエネルギーは自分を蝕むんだなってことをつくづく思い知らされた。

じゃあ、そのエネルギーをどっちに向ければいいかって考えはじめても、曲げるのに慣れすぎててすぐにはわからなくて、また数年悩んでようやく「こっちだな!」って確信が持てるようになったのが30歳のとき。つまりここ一年の話。

状況の方は変わらずで、まったく思い通りに行きやしないし、日々自分の醜い感情に振り回されたり、夜中にひとりで泣いたりしてるけど、今は方向が見えてるからぶつかっても曲げずにすんでいるので、変な言い方かもしれないがツラさがラク。あの頃に比べればもう、圧倒的にラク。あとはどんな時でも自分のやじるしをピンと保てるか、これが一生をかけた修行になってくんだろうなと感じている。

というわけで、31歳はみつけた方向性に向かって自ら踏み出していく年にしようとしてて、少しずつだけどすでにはじめている。結果がどう出てくるか、自分でも楽しみだ。

そんでゆくゆくは、他の人にとってのやじるしにもなれたらいいなと思ってる。迷った時にあいつをみてると自分の進むべき方向がわかるなとか、あいつの行く方向がおもしろそうだからついていってやるかとか、そうなれたらたぶん私は幸せ。

そんな感じで、当たり前のことを当たり前にやる以上に自分を磨くことはないなと思いながら今日も生きてる。こうみえて案外、まじめなんだぜ。