2014/6/14
ベランダや庭に出るために置いてあるサンダル。
なぜ置いてあるかというと、ちょっと洗濯物を干したりするために外に出る時に、地面に足をついて汚れないようにするためだろう。地面=外=汚いである、と考えると、サンダル=外ではない=キレイなわけだ。
では、もしもそのサンダルがずっと出しっぱなしだったら?地面と同じように風雨にさらされていたとしたら?その場合は、地面と条件は同じになるのだから、サンダル部分も時間の経過とともに「外」になっていくのではないか。
即ち、その状態にまで「外化」が進行したサンダルをはくということは、はだしで地面に立つのと同じ行為であり、サンダルはある段階からその存在理由を失っているのである。
とはいえ、新しく外に出されたサンダルがどれだけの時間の経過によってその意義を失うのか?「外」と「外じゃない」の境界がどこにあるのかということは、これから更なる考察を要する問題だ、などと私は考えているのである。
(意訳:ベランダに出しっぱなしにしいてたサンダルの存在を最近になって思い出した)