2013/12/23

この間、日本民藝館に行ったんだよーなんて話をしていたら父がひっぱり出してきた柳宗悦の「工藝の道」。40年ぐらい前に書かれたものなのだけど、今読んでもなかなか示唆に富んでいる。

せっかくだから少し引用してみよう。工芸美とは「用に即する美」だ、と定義した後で、「用」とは何かを解説する部分。

※改行は筆者。旧かな、旧字は正しく表示されない可能性があるので置き換えました。

ここに用とは単に唯物的意味に解しているのではない。

なぜなら、物心の二つは離して考えるべきものではないからである。それ故用とは物への用でもあり心への用でもある。器物は只使うのではなく、見たり触れたりして使うのである。

若し唯物的意味にのみとるなら、例えば模様と云うようなものは全然無意味となろう。併しよき模様は用の働きを増してくるのである。かかる意味でそれもしばしば用のなくてはならぬ一部になる。之に反し心に醜さを感ぜしめるものは、いくら物への用とはなっても、用の働きを鈍らしてくる。

丁度料理と云う時、只食物と云うことの他に、美しく盛られ、味わいよく調理された食物を意味するのと同じである。そうして此事が食欲を助けてくれる。之と共に、心に対してのみの用と云うが如きも無意味である。それは料理の模型を食物と呼ぶことが意味のないのと同じである。

用とは物へのみの(又は心へのみの)用ではなく、不二なる「物心」への用である。

身につまされるような話じゃないですか。特に「心に醜さを感ぜしめるものは〜」のくだりが気持ちいいね。

本当にいい道具というのは、役に立つだけじゃなくて心も豊かにしてくれるものなのだと改めて考えさせられます。作る側としても、使う側としても。

当たり前と言えば当たり前のことを言っているんだけど、いつだって当たり前のことを当たり前にやるのがいちばん難しいんだよなぁ。