めったに機会のないことだが、たまにインタビューや取材などを受けると、「なにがなんでもそれっぽいコメントをひねり出さなくては」というプレッシャーからか、自分でも「私ってそんなこと考えてたのか」と驚く思考がポンと言語化されることがある。
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​​「思うに私って、ストレス耐性が著しく低いんですよ」
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​​これは先日、「どうして文房具マニアになったのか」という趣旨の質問に対して、とっさに口をついて出た言葉である。自分でも最初はなんのこっちゃだったが、後になってよくよく考えてみれば、なるほどたしかにその通りだと感じる部分があったので、少し詳細に書き残しておこうと思う。
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​​これは文房具に限らず、マニア気質の人間にある程度共通する特性だと思うが、ごく一般的なストレス耐性(忍耐力)を持ち合わせた人間であれば「まあこんなもんか」と気に留めないような些細な違和感に対して、とにかくガマンが効かないのである。そして、どうにかしてその違和感を解消できないかと四苦八苦する過程の中で、知らず知らずのうちに道具の知識やノウハウのようなものに(ときには不必要なほど)詳しくなってしまうのである。
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​​自分の例をいくつか挙げてみると…
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​​小学生のとき。鉛筆やシャープペンシルでずっと絵を描いていると手が疲れる。手が疲れないシャープペンシルはないものか?
​​→ひたすら調べる&探す
​​→あった!「ドクターグリップ」
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​​部活(演劇部)で。台本、ファイルだと穴を開けて綴じるのが面倒くさい。修正や変更でページを差し替えるのも大変だ。かといって、ダブルクリップはかさばるし、台本を読むときにめくりにくい。何かいい解決策はないものか?
​​→ひたすら調べる&探す
​​→あった!「ガチャック」
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​​勉強で(ルーズリーフ派だった)。授業でプリントをもらうが、これをその時のノートと一緒に保管できたら見返しやすいのに…。プリントにルーズリーフのような穴が開けられればいいのに。
​​→ひたすら調べる&探す
​​→あった!「ゲージパンチ」
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​​などなど。元々、少しでも気に入らないことがあると、そのままにしておくことができない性質だったところに、「本気を出して探せば、世の中には何かしらの解決策がある」という成功体験が重なり、気がついたら文房具マニア(自覚なし)に仕上がっていたのである。

「あなたは忍耐力がない」「ガマンが効かない」と言われたら、あまりほめられていると感じる人はいないだろう。だがよくよく考えてみれば、ガマン弱い私が探したときに何かしらソリューションが見つかるということは、私より先にそのストレスに耐えかね、なおかつ私よりも頭がよく、行動力のある人が存在していた、ということである。

ストレス耐性のない人間が作り、ストレス耐性のない人間が探し、ストレス耐性のない人間が使う。そうして、道具は進化してきたのに違いない。皆んなが皆んなおおらかで忍耐強い人ばかりなら、現状を変化させるエネルギーは生じないのではないか。そう考えると、ストレス耐性が無いというのも悪いことばかりじゃないのでは、と思うのである。
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ちなみに、昔から絵や文章をかくことが好きだったのでジャンル的に文房具が表に出ることが多いが、基本的には身の回りのモノ全てに対して概ね同じスタンスで臨んでいる。情報として自分以外の人間にも有益性がありそう(=私のめんどくさい話でも聞いてくれる人がいそう)なので、外では文房具の話をすることが多いが、現在家にある全てのものは、バッグにしろキッチン用品にしろ家電にしろ生活用品にしろ、多かれ少なかれ調べまくり、お店に足を運びまくるという過程を踏んで入手したものである。

「ストレス耐性がないっていうけど、そうやって調べたり探したりするのはめんどくさくないのかよ」というツッコミがきそうだが、不思議とそこにはあまりツラさを感じない。そう考えると、私が本当に好きなのは文房具や道具そのものというより、それらに出会うための道のりの方なのかもしれない。登山が趣味という人が、ヘリコプターで山の頂上に行きたがらないのと一緒で、なにしろ趣味というのは自ら進んで受ける苦労のことである、と言うではないか。

まあ、それも私が言ったんだけどね。